大洲七椙神社 八幡宮 由緒

  松川町大字禰宜平に鎮座し、旧上新井村の産土神で祭神は誉田別命(ほむたわけのみこと 応神天皇・八幡神) 建御名方命(たけみなかたのみこと 諏訪大神) 天照大神(あまてらすおおみかみ)として上新井の鎮守である。天養年間(1145)片切氏の分流大島氏が大島の地に居館を構え、大島(現在の古町、上新井)を本郷として福与、部奈、小和田を大島領として統治した際に、大島領の鎮守として平治年間(1160)に鶴岡八幡宮より奉祀されたものである。

八幡大菩薩を御神体とし、これに日天子、月天子の両小神像を配してある。この神像の光背に正安元年10月25日(1299)と書銘が記され、日天子は大日如来を表し、月天子は阿弥陀如来をかたどったもので、両像とも彩色豊かなものであり、作者は日天子は「平国保」、月天子は「藤原守清」と記されている。

八幡台菩薩は現在本社の主神であるが、中古にはこれと同じく諏訪大明神が奉祀されていたのではないかとおもわれる。この地方は古くから諏訪信仰が相当根強く大島氏がこの地を領有するに及んで新たな八幡大神を併せ祀り自家の鎮守としたものと思われる。

本社の神域は老樹をもって囲まれ、殊に老杉の7本は近郷に比類のないもので、樹齢1000年を超える歴史の中、7本とも「病気にならず」「落雷にもあわなかった」、強い生命力と強い運をもつ「千年杉」である。

また、社前左右一対の石灯籠は明治24年の建造で郡下随一といわれ、近郷に知られている。

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